昭和が平成になり、そして令和を迎えた。 僕の今の職場でも平成生まれが大部分を占めてきて、昭和のバブル景気を体験しているのは僕くらいになってしまった。 あれは昭和天皇崩御の前後だっただろうか。当時、大学生だった僕はある女の子と割り切ったお付き合いをしていた。今の言葉でいうF割だ。フェラと引き換えにお金を渡す乾いた関係だった。 彼女は僕のアルバイト仲間だった。時給は安かったが、それなりにやりがいはあった仕事だったと思う。そんな時に彼女から「お金ないんだよね」と誘われた。 その日に稼いだアルバイト代が吹っ飛ぶくらいの額だったが、高校時代に全くモテずに女性に縁がなかった僕にとって、年上彼女の生フェラは魅力的案件だった。誰もいない倉庫の片隅で彼女に咥えられていると、性の無限さと背徳感に背筋がしびれるような感覚を覚えたものだ。 やがて、僕は就職活動もあってアルバイトを辞めた。そして、F割と言う割り切った関係だった彼女とは疎遠となった。僕たちはあくまでも快楽とお金のためと割り切った仲だった。 こうして、就職した僕は、平成という時代を仕事一筋に過ごした。平成は30年も続いたのだから、僕が昭和の終わりにF割をやっていたのも遠い過去の記憶になってしまった。 フェラ友募集を3つの出会い系の掲示板に書き込み 今ではスマホをいじるだけでいくらでもF割の女の子を拾えるようになっている。そこには背徳感はない。タップ一つで交渉ができて簡単に関係が成立して、そして破棄される歪んだ世界だ。 「私の時代にこう言うのがあれば苦労はしなかったんだけどなあ」 奥さんがスマホを触りながらぼやいていた。 就職して10年目、仕事一筋にも空しくなって風俗通いを始めた僕の前に彼女は風俗嬢として現れた。彼女に咥えられた時、あの倉庫の片隅で受けたF割の記憶が一気に蘇ってきて、彼女のことを思い出したのだ。そして、そこから結婚まで発展したのである。 もしF割をしていなかったら、偶然に彼女と再会しても僕は気づいていなかったように思う。F割は乾いた関係かもしれない。しかし、F割の出会いも、出会いは出会いなのだ。 トイレフェラ Fワリ
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